1876-07
21日、盛岡・呉服町の活版業・川越勘兵衛親子による「日進社」から岩手県初の新聞として発刊された「巖手新聞誌」が本紙の前身です。この新聞は和とじの小冊子で、ただ1号だけで廃刊となりましたが、後に「日進新聞」、「巖手新聞」と改題。
1886-09
には銀行家に買い取られて新たに「巖手日日新聞」として創刊されました。しかし、
1890-09
、政党機関紙化した「巖手日日新聞」は、姉妹紙である「巖手公報」に吸収され、さらに
1897-03
、「盛岡日報」と合併し、「巖手日報」として装いを新たにしました。後に題字を「岩手日報」とするなどの幾多の変遷を経てきましたが、
1938-01
、銀行の支配下にあるのをいさぎよしとしなかった社内有志は岩手日報従業員組合を組織し、日刊「新岩手日報」を発行。銀行系岩手日報はまもなく発行不能に陥ったため、「新岩手日報」は県内唯一の日刊紙となりました。 その後の主な沿革は次のとおりです。
1938-06
従業員組合により資本金5万円で株式会社新岩手社を設立、経営を同社に移す
1951-09
「新岩手日報」5,000号を機に「岩手日報」に題字を変更
1962-01
社名を株式会社岩手日報社と商号変更、
1962-06
に払込資本金1億7,000万円とし、
1962-10
に現在地の盛岡市内丸に地上3階地下1階の新社屋を完成させる
1969-12
本社本館に4、5階を増築、別館1、2階の改装工事が完成
1974-06
株式会社岩手日報広告社を100%出資で設立(現・連結子会社)、総合広告代理店のほか住宅展示場を運営
1980-03
販売店組織岩手日報会と共同出資で新聞折込広告、発送、各種広告業、デザイン制作を営業内容とする岩手日報アド・ブランチ株式会社を設立(現・連結子会社)
1982-06
一関市大手町に地上5階地下1階の一関支社ビル完成
1991-06
盛岡市大通3丁目に三浦新聞店と共同出資で株式会社岩手日報こずかたセンターを設立(現・連結子会社)、新聞販売、折込広告配達を強化
1992-10
第54期株主総会で新株6万株の縁故募集により発行を承認可決、資本金2億円とする
1994-12
盛岡市みたけ4丁目に「制作センター」完成。地上3階、地下1階、カラーキーレスのタワー式輪転機2セット導入。朝刊32ページ印刷体制を確立
2007-01
「制作センター」にカラー輪転機2台増設、カラー16ページを含む40ページ印刷体制を確立
2010-07
夕刊を休刊、朝刊に統合。朝刊単独紙に
2011-03
東日本大震災で発生した津波により陸前高田支局が流出、大船渡支局が全壊
2014-09
大船渡市盛町に陸前高田・大船渡合同支局を開設陸前高田市高田町に陸前高田支局を開設、陸前高田・大船渡合同支局は大船渡支局に
2026-03
矢巾町広宮沢に「制作センター」を新築、盛岡市みたけから移転。地上3階建、4×1式輪転機2セット導入。カラー24ページを含む40ページ印刷体制を確立大船渡市大船渡町字赤沢に大船渡支局を新築、移転。東日本大震災で被害を受けた支局は全て再建電子新聞「岩手日報デジタル版」を発行会社法第447条の規定に基づき資本金の額を1億円減少し、資本金1億円とするニュースサイト「岩手日報ONLINE」の有料会員制サービスを開始